財団概要

公益財団法人 三輪正人育英会について

 公益財団法人 三輪正人育英会の目的は、東京で大学教育を受ける学生で、学業、人物が優れているにもかかわらず、経済的に困難を抱えている人たちに奨学金を給付して、大学生活を援助することにあります。
 本会は、三輪正人・初枝夫妻の遺産を基に設立されました。三輪正人育英会の奨学金は、子供がいなかった夫妻が 2 1世紀の世代に託した希望です。永く人々の記憶に留められるとともに、奨学生の皆さんが、よりよき市民として、社会で活躍されることを期待いたします。

 

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成り立ち

 育英会の名前の由来となっている三輪正人は、明治39年2月に岐阜県に生まれ、現在の東京海洋大学海洋工学部の前身、東京高等商船学校の航海科に学んだ人です。卒業後は日本郵船に入社、戦後は東京船舶で船長として活躍しました。昭和34年に同社を退職した後は、東京湾の水先(案内)人となりました。

 三輪正人は、昭和10年に浮田初枝を妻に迎えました。妻の初枝は、正人が船長として留守がちだった家を、洋裁などをしながら支えました。昭和26年に二人は東京世田谷の等々力の地、多摩川を見下ろす高台に、当時としては大変モダンな家を建てました。二人には子供がいませんでしたので、最初はイヌとオオム、後にはネコたちが新しい家族となりました。正人は水先人となったとき、60歳で初めて車の免許を取り、以来、退職までの約4 半世紀、等々力の家と横浜港の間を、車で通う生活を続けました。

 親戚や知り合いの人たちを家に呼んで、くつろいだひとときを過ごすことは、二人の楽しみの一つだったようです。物静かでいつもニコニコと対応する正人と、なかなかの負けん気の初枝は、好対照の夫婦で、二人のまわりに明るい笑い声が絶えることはありませんでした。しかし、昭和60年、東京湾の水先人を退職した年の初秋に、正人は病のため、帰らぬ人となりました。

 後に残された初枝は、正人が生前、「自分たちの資産を経済的に恵まれない学生のために役立てたい」と話していたことを振り返り、その遺志を実現するため、遺産を基に奨学育英会を創ることを遺言書に残しました。

 平成5年秋、初枝の没後、親族の理解を得て、遺言執行者の手で育英会の設立が進められました。その結果、平成7年12月に東京都教育委員会から財団法人三輪正人育英会の設立許可がおり、平成8年度に奨学生 7名に対し、最初の育英事業が開始されました。

 平成24年4月1日からは、公益財団法人 三輪正人育英会として、新しい態勢で奨学事業が進められています。

 また、創立20周年を迎えた平成27年11月には、三輪正人の母校、東京海洋大学海洋工学部で記念の集いを開催し、社会人となった元奨学生、現奨学生、関係親族、育英会役員などで、本会の成り立ちを振り返りながら、三輪正人夫妻の思いを語り合うなど、交流と親睦をはかりました。

 


公益財団法人 三輪正人育英会の組織(平成29年11月現在)

(役員など)  
○理事長 (育英会の代表で理事から選ばれる)
○理事 (事業の執行の決定などを行う)
○監事 (資産などの監査などを行う)
○評議員会 (理事・監事の選任、決算報告などの承認などを行う)
○奨学生選考委員会 (理事会の下で奨学生の選考や奨学生との懇談会を行う)
○評議員選定委員 (評議員を選任する)

 

役員などの氏名 
理事長 山崎 正勝  東京工業大学 名誉教授 
理事 錦織 淳 錦織・新阜法律事務所 弁護士 
  坪井 邦夫  東京海洋大学海洋工学部 名誉教授 
  横山 節雄  東京学芸大学 名誉教授 ※ 
  山崎 洋  元ソニー株式会社 
  山内 久光  山内総合法律事務所 弁護士
  黒川 久幸  東京海洋大学海洋工学部 教授 ※ 
  澁谷 憲悟  東京大学 助教 ※ 
監事  野村 正義  元凸版印刷 部長 
  押田 邦夫  押田会計代表取締役 
評議員  浮田 泰治  元ラボ国際交流センター 監事 ※ 
  深山 雅也  深山・小金丸法律会計事務所 弁護士 
  堀 俊夫 元竹中工務店 建築・技術士
  大淀 昇一 東洋大学 元教授 ※
  岩坂 直人 東京海洋大学海洋工学部 教授
  浮田 興一 インテリア美装
  塚本 達郎 東京海洋大学海洋工学部 教授
    (※印は奨学生選考委員)
評議員選定委員    
(外部委員) 廣瀬 幸夫 東京工業大学 名誉教授
  田中 教之 元日産自動車
(内部委員) 大淀 昇一  
  野村 正義